ココミラ日記 〜ココロがつながる未来が変わる〜

私・妻・母・会社員。4つの役割をもつ「私」がそれぞれの立場で感じたこと、思うことを書き綴ります。

アメブロとはてなブログを使ってみて、の感想

アメブロと、はてなブログの両方を使っている。

なんでそんな面倒くさいことをしてるか、というと、

ブログを始めるときに決め切れなかったから。

 

アメブロのキラキラした楽しさは、はてな には無く、

その逆でアメブロにはない、はてなの職人っぽい格好良さ

 

この2つのどっちを取ろうか、初心者な私には決め切れなかった。

 

ので、まずはやってみることにした。

 

約3ヶ月使っての感想。

アメブロと、はてなブログだったら、はてなブログのほうが「個人が書く」に特化していると感じた。

 

基本的にブログを書くのはスマホになる。

 

アメブロと、はてな、とそれぞれアプリを入れてる。

アメブロは「つながり」や「芸能人のブログピックアップ」とかあって、とても賑やか。

 

はてな、は自分の記事がメイン。アプリを立ち上げて「読者登録してるもの」が「更新されている」ときだけ、画面の端っこにちょっとアピール有り。

 

アメブロはとても楽しくて頻繁に更新している。が、賑やか過ぎて、疲れやすくなってしまった。

その上、自分で記事を書こうと思ってアプリを立ち上げるんだけど、

いろんな情報が「わっ!」っと一気に入ってきて

自分が何を書きたかったか忘れてしまう、、、。

(それは自分がポンコツなだけ?)

 

はてな、は自分しか見えない画面だから、最初はとても寂しかった。なので全然更新する気になれず、全然手をつけず。

(最近になってやっと読者登録をやりはじめた)

 

だけど、3ヶ月くらい両方をやってみたら、はてな、のほうが静かに粛々と続けられる気がしてきた。

 

ブログを続けてわかってきたことは、

ブログを続けることは、自分との闘い!

・・・じゃなく、より自分と仲良くなるツールだと思い始めてる。

 

自分の考え、感じ方を整理し、客観視すると、より自分が見えてくるようになったから。

 

アメブロと、はてなブログと。

 

だんだん感覚が掴めてきた。

 

どっちが私により適しているのかもう少し様子を見ていこう。

 

 

 

やっぱり栗原はるみさんは素敵だった。

昨日、イメージする女性の名前を挙げたら、たまたまテレビをつけたら「栗原はるみ」さんが出ていた。

どうやら今日の料理の特集?編だったみたい。

 

いつも、テレビは見ない、てゆーか、見れないのに、

なんとなくテレビつけるかー、ってやっただけ。

 

すごい偶然!

・・・じゃない、これぞ「引き寄せ」!

 

久しぶりに見た番組は、本当に素敵で、

お料理に合わせたテーブルセッティングに惚れ惚れ。

 

テーブルセッティングの用意の仕方が、また、素敵。。。

 

たくさんのクロスがキッチンに置いてあって、ササッと選べるようになってるのよ。

撮影用に置いたクロスは、まぁいいとして、その他のクロスがちゃんと畳んでワゴンの棚に重ねて置いてある。

色んな色と、柄と、大きさと。

 

きっと少しずつ集めていったんだろうなあ。

最後の最後まで小さく切ってお裁縫して、使い切るのよ〜、なんて、栗原さんはおっしゃっていたけど、

愛着があるからこそよね。。勉強になります、、、。

 

私も旅行とか、出かけた先で、布を買うように心がけよう。

 

あと、やっぱりキッチンがキレイ!

物が、いーーーっぱい、なんだけど整然としてる。

使っている証拠。

 

あーーー、たった30分の番組だったけど、栗原はるみさんの素敵さが改めてわかる番組だったー。

 

やっぱり素敵。

食、器、季節、暮らし、全部を楽しむ生活。

 

ああいう風になりたい!

どんな私になりたい?

どんな私になりたいか。

 

うーん、、、ステキな女性でいたい。

 

母、妻、自分をバランスよく。

結局のところ、自分が母であり、妻であるから、

自分を優先して大丈夫じゃないかと思った。

 

どんな自分でいたいか、

 

 

早起きして自分の時間を大切にしたり、

土日の朝は平日の料理の仕込みをしたり、

その他の家事も手際よく、効率良くやって、

日が変わる前にお布団に入る。

家族も大切にする。

 

リズム良く、テンポ良く、過ごす毎日。

 

イメージする女性だと、

 

栗原はるみさん、

雅姫さん、

君島十和子さん

 

独自の世界観を持っていて、

家事も育児も自分のこともしっかりやっている

賢くてキレイで、ステキな女性たち。

 

・・・って、ハードル高っ!!!!!!

 

自分で書き出してビックリした(滝汗)

 

 

ま、美しさとか、細やかさはダメダメだけど、彼女たちの生きることに対する姿勢を見習って、

私も賢くて、キレイで、独自の世界観を持つステキな女性になろう。

 

なろう、じゃなくて、「なる!」

よし。

 

 

私は、なりたい私になる。

なりたい私になろう。

もう、変に我慢したり、遠慮したりしない。

 

家族を大切に

自分を大切に

日々の生活を大切に

 

時間とお金と仲良くし、

物質的にも、ココロも豊かで穏やかな暮らしをする私になる。

 

遅すぎることは無し。

気づいたときが、はじめどき。

 

アラフォーの新しい取り組み。

 

楽しんでいこう。

完母と混合 反応しすぎた私

ずっとひっかかってる言葉があるから、それについて整理してみる。

言ってくれた相手古くからの友人であり、極めて善意からの発言だった。

だから、それが余計に苦しさを増してしまったのだろう。

 

シチュエーションはこう。

4人でランチ中。私含めてママが3人。

私の子ども、同席。前の授乳から4時間経過し、内心どこでチェンジサブチェクトするか様子を伺ってた。

 

話題が盛り上がり、ますます切り出しにくくなる。

私は、さらに困っていた。

 

Aさん

「あ!ねぇ、ココちゃん、子どもちゃん、お腹空いてるんじゃない?お口をクチュクチュさせてるよ!」

「クチをクチュクチュするのは、お腹が減ってる証拠なんだよ♪」

 

Bさん

「さっすが先輩 ママ!ほら、ココちゃん、ミルクあげないと!」

 

「あ、、、うん。。。前の授乳から4時間経ってるからタイミングを伺ってたんだよね〜」

 

※私の「前の授乳から〜・・・」は「先輩ママすごい!」の話題にかき消される。。。

 

ついでに状況をくわしくいうと、Aさんはミルク不使用の完全母乳育児「完母」。

私は「混合」と言われる母乳とミルクをその都度いっしょにあげるやり方。

完母とミルクを使う授乳方法では、授乳のタイミングが異なるのだ。

 

そしてこの、授乳のタイミングの違い、がかき消されてしまったことが消化不良の原因になった。

 

完母と混合では、授乳のタイミングが異なるのは育児をしたことのあるお母さんなら正直誰でも知っていること。

 

完母は、赤ちゃんが口をくちゅくちゅしたら都度おっぱいを与えることができるけど、

ミルクが含まれると、授乳間隔は3時間開けるように指導される。

 

この先輩ママAさんのおかげで、私の子どもちゃんは授乳、いや、ミルクを飲むことができたのだから、ポジティブな内容だったことは間違いない。

 

そう思うようにした。

 

だけど、私はずーっとこの「お口くちゅくちゅ」発言がひっかかってしまった。

 

なぜならば、私は「完母」にはできなかったからだ。母乳がそこまで出ないのと、自分に何かあったときやどうしても預けなければならないときに、融通がきかなくなるリスクがあるからだ。

ずっと母乳ばかり飲んで育っている子どもが、いきなりミルクを飲めるか、といったらそんな簡単なハナシではないと思っている。

 

相手は事情を飲み込める大人ではない。

自分の状況すら「同じトーンで泣く」ことでしか表現できない、赤ちゃん、なのだ。

 

完母、というのはとてつもない労力がかかる。

赤ちゃんはミルクを拒絶する子もいるので、そうなったら何が何でも「完母」にしないとならない。

 

私はハナから「混合」に決めていたので、完母を達成された方は本当に尊敬する。

 

でも、完母が大変すぎるあまり、完母が一種のブランドになりすぎているような気持ちになってきた。

 

私は完母です!!!!!みたいな完母至上主義。

 

いちばん大変な完母、その労力を特に母親たちの身近な人たちが、もっと労ってあげるといいのかな。

 

命あるものを持つ、って凄いプレッシャーなんだよね。無意識に。

 

完母だろうと、混合だろうと、完ミだろうと、命あるものを持ち、育てるプレッシャーは同じだと思う。

それぞれの授乳方法を認めて受け入れあうようになるといいな。

 

とりあえず、わたしは、受け入れられる人になろう。

 

完母にできず、

出ないにも関わらず、おっぱいを喜ぶ子どものことを思い余るあまり、完全ミルクの完ミに切り替えることもできなかった、中途半端、という事実が私にあるのだから。

 

穏やかな日

暴れて爆発した翌日の今日は、とても穏やかな日になったので、昨日の振り返りを。。。

 

暴れた当日、夫がなんと休暇を取り、日中の家事育児を代わってくれた。

 

いや、代わってくれた、というか、代わらざるを得なかったというか。。。

 

夜中に感情が爆発した私は、夜が明けてもずっと涙が止まらず、ぐずぐず泣き続け、惰眠をむさぼる情けない有様。

 

うつ状態

 

ようやく動き出したのは午後3時。おやつの時間でありました。。。

 

たくさん寝たからといって、全快したワケでもなく、

それはそれで夫や子どもに対して罪悪感が残る、なんとも後味の悪い気持ち。

 

しかし、夫は子どもが大好きで、

子どもも夫が大好きなので、

2人的にはオッケーな日となった模様。

 

でも、3時頃といえども、のっそり起きてリビングに出た時に、2人がホッとしたような表情を見せ、

私の行為に対して責めることなく受け入れてくれたのが嬉しかった。

 

そして、また涙。

 

私が子どもを抱っこしたら、今度はなかなか離れない。

まるで日中の「かーちゃん不足」を取り戻すかのようにずーっとしがみつく。

 

かーちゃん、愛されているなぁ。。。

 

いままでいた世界から対局のところに来たショックが大きかったけど、来てしまったものはしょうがない。

 

夜中の爆発中に夫が「独身に戻りたい?」って聞いてきたけど、「うん」って言えなかった。

この状態で独身に戻ればすべて解決するという簡単なハナシでもなく。

 

変化というにはあまり激し過ぎる展開だったけど、ここまできてしまったらもうどうにもならない。

腹をくくるだけ。

 

幸いなことに育休中だから、一応戻る場所もある。

子どもを保育園に通わせるのか、

それよりも、まず保育園に入れるのか、とかまだまだ苦しいことはたくさんある。

 

けど、ベストを尽くせるようにそのときそのときで、全力で向き合って答えを出していこう。

 

耐えることばかりが美徳にあらず。

これからも当り散らして、、、じゃない、都度家族と話し合っていこう。

 

できるだけ、「爆発」する前に!

悲しさと悔しさと爆発と

やっぱり感情が爆発してしまった。

 

ブログで、ココロの苦しさを吐露してラクになったと思っていたのだけど、

根本的な解決にはなっていなかったようです。

 

自分が今置かれている状況を改めて見る機会があって、

そこで、とてつもない悲しみを感じました。

そしたら、たまらなく悔しくなって、夜中に爆発。

 

モノに当たって、癇癪を起こし、泣きじゃくり、暴れました。

泣いても泣いても涙は止まらず、ただひたすら悔しいばかり。

 

原因は、子どもを持ったことによる環境の変化。

 

子どもは可愛い。

子どもには何の罪もない。

 

だけど、苦しい。

 

乳幼児の世界は、私がいた大人の世界の対局で、

「ごほうびシール」をもらう、とても優しくてピースフルな世界。泣けてくる。

 

私がこれまでいた社会人の世界での出来事は、まるで役立たず。

ホントに泣けるほど、役に立たない。

 

例えば「結論から先に伝える」なんて、もう、なんですか?それは?って状況。 

これまで普通にやっていたビジネスモードでやり取りしようとしたら「おっかない人」になってしまう世界。

 

これまでの自分を否定されてるような悲しさを感じるワケです。

 

その上、行動範囲が狭まって、ピンポイントの範囲になり、

ここ最近の最大の楽しみといえば近くの商業施設内の新店オープン。(いや、まだソレがあるだけいいのか)

 

家族との会話も、だんだん噛み合わなくなっていくのをヒシヒシと感じる日々。

 

私だって仕事のハナシがしたい。

仕事のハナシができていたんだから。

 

でも、子どもと行動を共にするようになったら仕事のハナシなんて出来なくなった。

 

自分から発する話題は半径300メートル以内程度のことばかり。

どんどん小さくなる自分が切ない。

 

そんなアレコレが重なり続けたら、我慢できなくなって、泣いた。そして暴れた。

 

コレを書いてる今も、悔しくてたまらない。

 

子どもは何も悪くない。

子どもの顔を見ると「しょーがない」と思う。

 

思うけど、まだまだ割り切り切れない私がいる。

 

子育て中に、何か資格をとろうかな。

簡単な資格で良いから。

 

そうやって、目に見えるカタチの成果を自分に残してあげないと、気持ちが続かないです。

 

まだまだまだまだ、自分との闘いは続いていく模様です。。。